森英恵(もりはなえ)さんが2022年8月11日に96歳でお亡くなりになられました。
孫では森泉さんが有名ですね。
森英恵さんといえば日本を代表するデザイナーとして活躍され、「モリハナエ」ブランドでは、世界に類を見ないライセンス商品(洋服からスリッパまで)を展開し、世界のファッション業界の未来を切り開いた偉大なデザイナーです。
今回は、森英恵さんの経歴やプロフィールをご紹介します。
あわせて、森英恵さんデザインの日本で最も心に残る作品もご紹介したいと思いますのでご覧ください。
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森英恵のプロフィール
【訃報】ファッションデザイナーの森英恵さん、老衰のため死去 96歳https://t.co/jR0Ci0az4K
— ライブドアニュース (@livedoornews) August 17, 2022
皇后雅子さまのご成婚時のローブデコルテや、バルセロナ五輪日本選手団のユニホームなど、時代を象徴する場面で記憶に残る服をデザインした。1996年には服飾デザイン分野で初の文化勲章を受章。 pic.twitter.com/opqZqjuy3b
名前 | 森 英恵 もり はなえ |
生年月日 | 1926年1月8日(96歳没) |
出身地 | 島根県 |
出身校 | 東京女子大学 |
職業 | ファッションデザイナー |
森英恵の経歴
日本を代表するファッションデザイナーで文化勲章受章者の森英恵さんが亡くなりました。96歳でした。洋裁学校に通った専業主婦が服作りに目覚め、東京・新宿に小さな洋装店を開いたのは1951年。以来、70年にわたり世界に「日本の美」を発信し続けました。https://t.co/90PDF9QwaR
— 読売新聞オンライン (@Yomiuri_Online) August 17, 2022
森英恵さんは島根県鹿足郡六日市町(現在の吉賀町)で生まれ。
父親は医師の家系に生まれ、自らも六日市町で開業医となっています。
父親は森英恵さんが幼いころから、着る服は大阪高島屋や東京の三越から、メールオーダーで取り寄せていたそうなんです。
かなり裕福な家庭に生まれたようですね。
このころから洋服などに気を使って生活されていたようで、後のファッションデザイナーとしての資質が出てきていたのかもしれませんね。
森英恵さんには2人の兄と姉、妹がいますので、5人兄弟の4番目です。
2人の兄は共に20代の若さで、結核により他界されています。
森英恵さんの学歴
- 小学校4年生の2学期に杉並区立桃井第三小学校へ転入。
- 1938年 東京府立第十一高等女学校(現在の東京都立桜町高等学校)に入学
- 1943年 東京府立第十一高等女学校(現在の東京都立桜町高等学校)を卒業
- 1943年 東京女子大学高等部に入学
- 1948年 東京女子大学高等部を卒業
森英恵さん結婚
森英恵さんは1948年に結婚されています。
お相手は、学生時代に勤労動員の工場で知り合った森 賢 氏。
お二人の間には、2人の子供が生まれています。
- 長男:森 顕(もり あきら)タレントの森泉さんのお父さんになります。
- 次男:森 恵(もり けい)
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森英恵さんファッションデザイナーへ
森英恵さん御逝去。1960年代に東洋人初のオートクチュール協会正会員にしてセレブリティーのクチュリエとして確固たる地位を築かれた。優しく美しい曲線美とモチーフは新しい日本の美を世界を魅了した。写真は巨匠リチャードアヴェドンによるポートレート。また偉大なデザイナーがこの世を去った。 pic.twitter.com/TLAsPtUHFA
— FASHIONVICTIM TOKYO🇺🇦 (@tokyofashionlab) August 17, 2022
森英恵さんは結婚後、夫の支えもありドレスメーカー女学院に通い洋裁技術を取得。
1951年新宿東口のラーメン屋の2階に洋裁店「ひよしや」っを開業。
夫の大学時代からの人脈から、1950年代日本映画全盛期に実に400本にものぼる衣装を手掛けることになります。
1954年銀座に銀座にブティック&サロン「ハナヱ・モリ」オープン。
19665年にはニューヨークコレクションにも初参加されます。
その後、パリコレクションにも進出。
1977年には、オートクチュール協会から、アジア人初の会員として認められました。
このことは、その後の日本人デザイナーの世界進出や、クチュールメゾン(デザイナーハウス)の巨大ビジネス化に寄与しています。
そして、「ハナエモリ」は洋服だけではなく、「ハナエモリ」の蝶のロゴの入った商品をライセンス商法として広げ、タオルや魔法瓶、スリッパに至るまで商品化しそのビジネスは100億円近いビジネスモデルとなり世界のファッション業界を驚かせ、未来を切り開いたと評価されています。
1996年世界でビジネスが拡大している最中、夫:森賢が死去。
✰森英恵さんデザインの振袖とっても綺麗です♪レンタルですがお値段もなかなかです!
「ハナエ・モリ」倒産
全盛期には国内外のグループ企業の年商は400億円ともいわれていたが、バブルの崩壊のあおりを受け、2002年5月に倒産。
負債総額は101億円。
その後は、倒産前に三井物産に一部事業を売却していたので現在でも「ハナエモリ」というブランドは継続しています。
森英恵さん引退
2004年7月7日、パリでA/Wオートクチュール・コレクションを最後に引退されます。
そして、同年9月9日東京新国立劇場で最後のショーを行いました。
2022年8月11日老衰のため96歳でお亡くなりになられました。
日本で最も心に残る作品
森英恵さんの作品で皆さんがご存じの作品を2つご紹介します。
数々の作品の中で最も印象に残ったものです。
美空ひばり

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美空ひばりさんが病からの復活コンサート「不死鳥」で着ていたこの衣裳はとても印象に残るものでしたね。
美空ひばりさんは好んで森英恵さんデザインの衣装を愛用しておられたようです。
皇后雅子さま
雅子さま、紀子さま、眞子さん、佳子さま、愛子さま 光り輝くドレス姿#NEWSポストセブン #国内記事 #皇室
— NEWSポストセブン (@news_postseven) January 1, 2022
成人や結婚といった記念すべきとき、女性皇族方はきらびやかなドレスに身を包んできた。プリンセスの笑顔とともに、純白のドレス姿を振り返る。https://t.co/2LcHkrlkCF
1993年、皇太子妃雅子の結婚の儀の際に着用したローブ・デコルテ(胸元を露出した女性の最高礼装)のデザインを森英恵さんがされています。
日本中が、雅子さまのお綺麗な姿に見とれていましたね。
まとめ
今回は、森英恵さんの経歴やプロフィール、森英恵さんデザインの日本で最も心に残る作品をお伝えさせていただきました。
日本のデザイナー界の第一人者でもある森英恵さんの功績は大きかったですね。
波乱な人生というよりは、幸せに満ち溢れた人生だったのではないかと感じますね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
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