ラーメン職人の平岡寛視(ひらおか ひろし)さんが2021年10月3日に放送される「情熱大陸」に出演されます。
平岡寛視さんは現在、札幌市にある人気ラーメン店「Japanese Ramen Noodle Lab Q(ラーメンキュウ)」の店主をされていますが、20代の若い頃はプロスノーボーダーとして活躍されていました。
そこで今回は、
◆平岡寛視(ラーメン職人)のwikiプロフィール
◆平岡寛視(ラーメン職人)の経歴や高校、大学の学歴
◆平岡寛視(ラーメン職人)の結婚や嫁、子供の家族
こちらについてリサーチしてみました!
平岡寛視(ラーメン職人)のwikiプロフィール
平岡寛視さんのWikipediaはまだ作成されていなかったので、平岡寛視さんのFacebookやネットでリサーチしたプロフィール情報をご紹介します。
画像:平岡寛視さんFacebook
平岡寛視(ラーメン職人)の年齢は?
画像:平岡寛視さんFacebook
平岡寛視さんは1981年生まれ。
誕生日は5月25日。
年齢は40歳です。(2021年10月現在)
平岡寛視(ラーメン職人)の出身地は?
平岡寛視さんの出身地は兵庫県神崎郡。
現在は札幌市に在住されています。
平岡寛視(ラーメン職人)の前職はプロスノーボーダー
平岡寛視さんのFacebookを見ると、
画像:平岡寛視さんFacebook
- Japanese Ramen Noodle Lab Q ownerchef 株式会社 as always 代表取締役
2014年6月12日~現在(札幌市) - 以前の職業:山のライダー
と職歴の項目に書かれています。
Japanese Ramen Noodle Lab Qとは?
画像:平岡寛視さんFacebook
「Japanese Ramen Noodle Lab Q(ラーメンキュウ)」は平岡寛視さんが2014年6月12日にオープンしたラーメン店。
「北海道札幌市中央区北一西2丁目1-3 りんどうビルB1F」に店舗があります。
厳選素材を使用。自家製麺。素材に器に雰囲気に。人に盛りつけに。一つ一つ、一期一会のラーメンを。
地鶏、醤油、みりん、小麦(自家製麺)を始め素材にこだわった、
昼のみのラーメン店です。出典:平岡寛視さんFacebook
以前の職業・山のライダーって何?
平岡寛視さんのFacebookには、「以前の職業:山のライダー」と書かれています。
詳しい経歴は後ほどご紹介していますが、平岡寛視さんは20代の頃、プロスノーボーダーとラーメン店従業員という二足の草鞋を履いていました。
画像:平岡寛視さんFacebook
これは平岡寛視さんが2015年4月にFacebook投稿していた写真ですが、この1枚だけで平岡さんの実力の凄さが分かるような気がします。
「山のライダー」というのは、プロスノーボーダーを意味しているのかも知れませんね。
そしてラーメン店主になった今でも、冬はスノーボード、夏はサーフィンへ気分転換に出かけている平岡寛視さん。
画像:https://www.import-plus.com/
また平岡寛視さんは若い頃、ジープ・ラングラーに惚れ込み「いつかこの車に乗ろう」と決めていたそうです。

My love. 🇯🇵 🇺🇸 #wranglerjl #wranglersahara
#asalways #madegood#目標達成平岡寛視さんInstagramより
そして2019年8月18日のインスタグラムで、ジープに乗るという目標を達成した事を報告されていました。
平岡寛視(ラーメン職人)の高校、大学の学歴は?
次に、平岡寛視さんの経歴や高校、大学の学歴などをご紹介します。
画像:平岡寛視さんInstagram
平岡寛視(ラーメン職人)の高校は?
平岡寛視さんの学歴については、Facebookに情報がありました。
画像:平岡寛視さんFacebook
平岡寛視さんが卒業した高校は、兵庫県の姫路商業高等学校 情報科学科。
2000年に卒業しています。
平岡寛視(ラーメン職人)の大学は?
画像:平岡寛視さんFacebook
平岡寛視さんが卒業した大学は、大阪学院大学 経済学部経済学科。
2004年に卒業されています。
平岡寛視(ラーメン職人)の経歴は?
画像:平岡寛視さんInstagram
平岡寛視さんは20代の頃に兵庫県から北海道に移住し、プロスノーボーダーとして活動しながらラーメンチェーン店で働く毎日を送っていたそうです。
そして休みの日には、必死に貯めたお金でアメリカやニュージーランドへ刺激を求めて旅行していたという平岡寛視さん。
そんな平岡寛視さんがラーメン店をオープンするまでの経歴をご紹介します。
両親の影響でラーメンといえば豚骨だった
母親が熊本出身、父親が福岡の大学、そして実家の近くに長浜ラーメンの店があった事もあり、地元が兵庫県にも関わらず小さい頃からラーメンといえば豚骨だったという平岡寛視さん。
そんな平岡寛視さんがラーメンの世界に入るきっかけになったのは20歳の時。
当時大坂の大学へ通い下宿をしていた平岡寛視さんは、大手博多ラーメンチェーン「一風堂 梅田店」のオープニングスタッフとしてアルバイトを始めました。
最初はラーメンには興味がなかった
バイトを始めた時は、まだ全然ラーメンに興味はなかったという平岡寛視さん。
「ラーメンを食べて人が笑顔になるのはいいな」と漠然と思っていたそうです。
一からラーメンを作る過程で、「なぜ豚骨スープが白くなるのか」「なせ半熟卵が半熟になるのか」など、ラーメン作りに楽しさは感じるも、その当時はスノーボードをしていたので、ラーメン屋になろうという気持ちは全く無かったようです。
画像:平岡寛視さんFacebook
冬はプロスノーボーダー、夏はラーメン屋
大学を卒業して北海道へ行き、25歳までにスポーンサーが付かなかったらスノーボードは辞めようと思っていた平岡寛視さん。
そして25歳までにスポンサーが付いた平岡寛視さんは、冬季は北海道でスノーボード、夏季は大阪のラーメン店で働くという生活を送っていました。
そんな生活を始めて3年経った頃、ラーメンの魅力と凄さに気付き、スノーボードと同じくらいラーメン屋の仕事が重要だと思ったそうです。
平岡寛視さんのターニングポイント
画像:平岡寛視さんInstagram
平岡寛視さんは27歳の時にスノーボードで大きな怪我をしてしまい、約2カ月の入院生活を送りました。
その時、「30歳までにしっかり道を定めろよ」とラーメン屋の店長に言われた事を思い出し、「30歳まであと2年だなー」と思ったそうです。
そして、それまでの自分の人生を振り返り、生活の基盤がラーメンだったと改めて気が付いた平岡寛視さん。
あと5年だけスノーボードとラーメンに全力で取り組み、5年後に生活のスタンスを変えて引退。
33歳になったら自分でラーメン屋をオープンすると決意したそうです。
ラーメンQをオープン
そして2014年6月12日、北海道札幌市にラーメン屋「ラーメンQ」をオープン。
店名の由来は「Quality」と「Quest」、「質」と「追及」という理由で決めたそうです。
オープン当初、麺打ちが出来なかった平岡寛視さんは麺を仕入れていたそうですが、「3年後には、必ず自家製麺にする」という目標を持ち、「清湯(チンタン)醤油」という世間にまだ浸透していなかったラーメンを看板メニューに。
「選ばれる一杯」になるためには、自分が感じた「本物の価値」を伝え続けたいと思ったそうです。
店名を変更した理由
現在の店名「Japanese Ramen Noodle Lab Q」に変わったのは2017年1月。
自家製麺に変えるタイミングで変更したそうです。
名前を変えるきっかけは、ニューヨークでラーメン店のプロデュースをした時。
外国のお客さんが平岡寛視さんのラーメンを食べ、「食べた事ない味だ!Japanese Noodleだ!」と言ったのを聞いてピンと来たんだそうです。
開店から8年目で北海道ラーメンの頂点に
全国の生産者を自ら回って食材を探し、その食材を生かす最高の配合や調理方法を徹底的に研究する平岡寛視さん。
究極の一杯を作る為に製麺技能士という国家資格を取得するなど、日々努力を重ね、「Japanese Ramen Noodle Lab Q」をオープンしてから8年目の2021年、「北海道ラーメンウォーカーグランプリ」で初の総合1位に輝きました!
平岡寛視(ラーメン職人)の結婚や嫁、子供の家族は?
平岡寛視さんの結婚や奥さん、子供などの家族についても調べてみましたが情報は見つかりませんでした。
平岡寛視さんのFacebookを見てみても、


妹さん以外の家族の情報はありませんでした。
2011年には東北で炊き出し
平岡寛視さんは2011年、被災した東北で炊き出しを行ったそうです。
炊き出しに東北にいってきます。
宮城県二箇所、福島県一箇所。
ラーメンたべてもらってきます!出典:平岡寛視さんFacebook

よろこんでもらえれば!
@東松島市です。出典:平岡寛視さんFacebook

逆に元気をもらいました!
本間に!
@亘理町の皆さん!
お母さん達、みなさんありがとうございます!出典:平岡寛視さんFacebook
まとめ
今回は、札幌市にある人気ラーメン店「Japanese Ramen Noodle Lab Q(ラーメンキュウ)」の店主・平岡寛視さんについてご紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。