川上裕(かわかみ ゆたか)さんは高知県にある『北川村「モネの庭」マルモッタン』の管理を任されている庭師。
「青い睡蓮(すいれん)」が咲く3ヘクタールにも及ぶ庭園は、世界で唯一「モネ」の名を冠することを許された場所。
そんな川上裕さんが2021年9月26日に放送される「情熱大陸」に出演されるという事で、
- 川上裕(庭師)のwikiプロフィール
- 川上裕(庭師)の前職
- 川上裕(庭師)の高校や大学の学歴
- 川上裕(庭師)の経歴
- 【動画】「モネの庭」を語る川上裕さん
- 「モネの庭」生みの親、クロード・モネ
についてご紹介していきます。
【情熱大陸で紹介された匠】
川上裕(庭師)のwikiプロフィール
画像:http://herb-neko.jugem.jp/
まず川上裕さんのプロフィールから見ていきましょう!
川上裕さんのWikipediaは作成されていなかったので、ネットから情報を集めてみました。
川上裕(庭師)の生年月日と年齢は?
川上裕さんは1961年生まれ。
誕生日の情報はありませんでした。
「情熱大陸」が放送される2021年9月26日現在の年齢は59歳だという事です。
川上裕(庭師)の出身地は?
川上裕さんの出身地は高知県。
現在管理されている『北川村「モネの庭」マルモッタン』がある場所も高知県です。
川上裕(庭師)の前職は?
画像:https://clublog.club-t.com/
川上裕さんは30歳で造園会社に転職しています。
川上裕さんの前職は地元の高知県で銀行員をされていたそうです。
川上裕(庭師)の高校や大学は?
川上裕さんの高校や大学などの学歴についても調べてみました。
川上裕さんは高校を卒業後、大学受験に3度失敗。
その後、地元の銀行に就職をしています。
川上裕さんが通っていた小学校、中学校、高校の名前は明らかになっていませんが、大学には行かず最終学歴は高卒のようです。
【名前】
川上裕(かわかみ・ゆたか)
【生年月日】
1961年
【年齢】
59歳(2021年9月現在)
【職業】
庭師(『北川村「モネの庭」マルモッタン』庭園管理責任者)
【受賞歴】
フランスの芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受章(2015年)
川上裕(庭師)の経歴
画像:https://blog.goo.ne.jp/fukuchanhi/
川上裕さんは1961年、高知県でハウス農家を営む父親と母親の元に生まれました。
小さい頃から植物が好きだった川上裕さん。
自宅の庭に自分だけの小さなマイガーデンを造っていたそうです。
将来は農家を継ぎたい少年。しかし…
川上裕さんは5歳でマイガーデンを持つくらいの少年だったので、自然と将来は実家の農家を継ぎたいと考えるようになり、そのつもりで高校生活を送っていました。
しかし、息子の将来を第一に考える両親に、不安定な農家より安定している公務員などの仕事をした方が良いと説得されたそうです。
地元の銀行に就職
画像:https://www.kjmonet.jp/
そして川上裕さんは安定した仕事に就く為、高校卒業後は大学へ進む道を選択。
ところが、大学受験に3度失敗してしまいます。
その結果、川上裕さんは大学への進学を諦め、地元の銀行へ就職する事になりました。
30歳で造園会社へ転職
銀行員として働いていた川上裕さんでしたが、植物への情熱はなくなりません。
そして、川上裕さんは30歳の時に造園会社へ転職。
日本庭園の師匠の下で12年間修業しました。
42歳で北川村「モネの庭」庭園責任者に
画像:https://www.kjmonet.jp/
川上裕さんが『北川村「モネの庭」マルモッタン』の庭園責任者になったのは2003年。
樹木だけでなく、花も扱いたいという思いからでした。
そして、フランス・ジヴェルニーにある本場の「モネの庭」で長年に渡って責任者を務めた庭師・ジルベール・ヴァエーさんからの助言や協力のもと、2008年に「光の庭」を北川村に完成させました。
川上裕さんは、フランス・ジヴェルニーの「モネの庭」を度々訪問し、モネの世界観を理解する事に努めています。
「私はクロード・モネに雇われた庭師という想いで仕事をしています。」と語る川上裕さんは、モネの絵画にある色彩・光・空気感の全てを庭造りのインスピレーションとして日々仕事に取り組んでいるそうです。
【動画】川上裕さんが「モネの庭」を語る
これは、北川村「モネの庭」マルモッタンの公式YouTubeチャンネルにあった、20周年記念の動画です。
本当に美しい場所で、行ってみたい場所が一つ増えました!
動画の2:35辺りから、庭園管理責任者の川上裕さんが「モネの庭」について語っています。
- ここは公園ではないということです
- あくまでもクロード・モネの庭
- もう一つの庭
- 彼のイメージするものを、ここでどうやって作るか
- もう一つの庭として、ここにオリジナルがあって
- その中にモネの精神を受け継いだものが
- ちゃんとここで表現されている
- モネのことを考えて、モネのための庭作り
- モネが来たら、ここで絵を描きたいと思えるような
- 庭を作っていく事が一番大事です
動画のなかで話されていた言葉一つ一つから、「モネの庭」に対する川上裕さんの熱い思いが伝わってきました。
【情熱大陸で紹介された匠】
「モネの庭」生みの親、クロード・モネ
「モネの庭」は、印象派の巨匠クロード・モネがこよなく愛したフランス・ジヴェルニーの庭をモデルに創られています。
クロード・モネは列車の窓から見たフランス北部にあるジヴェルニーの景色の美しさに心を奪われ、43歳で移り住みました。
そしてモネは、セーヌ渓谷の肥沃な土地に理想の家と庭を完成させます。
ジヴェルニーの庭はモネの創造の源泉になり、「睡蓮」など数多くの名作を生み出す舞台になりました。
画像:https://spice.eplus.jp/
ジヴェルニーに移り住んだモネは、「私は歓喜に酔っている。ジヴェルニーは私にとって最高の場所だ。」と手紙の中で語ったそうです。
モネが自分で草花や木の種類を選び、6人もの庭師を雇って完成させた庭は、後に「まるでパレットのような庭」「生きた美術館」と評されています。

「道楽や目の保養のためばかりでなく、絵の題材として庭を作りたい」という言葉を残したモネは、理想の庭園で数々の名作を残し、1926年12月5日に86歳で亡くなるまで、ジヴェルニーの地を愛し続けたそうです。