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【三味職人】銘苅春政とは?名工の三線の値段や偽物の見分け方について調査!

銘苅春政

沖縄返還50年を迎えました。

沖縄といえば思い浮かぶのは、独特で風情のある沖縄民謡ですね。

そこで、欠かせない弦楽器・沖縄三味線。

三線(さんしん)と呼ぶのが正解かもしれません。

その三線職人である銘苅春政(めかるはるまさ)さんをご存じでしょうか。

三線(さんしん)作りの職人としては日本一といわれる名工。

その銘苅氏が作る三線は、同じものが二つとないといわれるほど繊細なもので、芸術的価値も相当なもの。

銘苅氏が作る三線は沖縄古典音楽に携わる者にとって憧れの一本です。

なので、銘苅氏作の三線は高額で取引されているので偽物も出回っているようです。

今回は、

  • 銘苅春政とはどんな人物なのか?
  • 銘苅氏作の三線はいくらする?
  • 銘苅氏作の三線の見分け方とは?

について、お伝えしたいと思います。

銘苅春政とはどんな人

銘苅氏イメージ画像:沖縄県三線制作事業協同組合

名前 銘苅春政(めかるはるまさ)
生年月日 1934(昭和9)年8月10日
88歳(2022/05現在)
出身地 沖縄県玉城村(現:南城市)

激戦地で生まれる

銘苅氏が生まれた沖縄県玉城村(現:南城市)第二次世界大戦中は激戦地となった、沖縄本島南部に位置します。

当時は大変な場所というのは想像できますが、避難はしなかったそうです。

祖父から、

「アメリカは大通りしか行かないから、細かいところには入らない」

という言葉に従うことで、無事けがをすることもなく終戦を迎えたそうです。

大工の父

銘苅氏の父親は大工の棟梁だったそうで、生活で必要な砂糖を作る釜・レンガのかまど・豆腐を作る釜・水桶など何でも作る父親だったそうです。

そんな父親の背中を見て育っているのが、今の名工銘苅氏の根源なのでしょうね。

終戦後は父のもとで働き大工として働き始めたそう。

そして、その実力はメキメキと育っていき、棟梁である父に次ぐほどの腕前だったそうです。

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人生の転機が訪れる

銘苅氏が24歳のころ、その腕前を買われ親戚のなかもと三味線店から三線職人としてスカウトされます。

大工として父と歩んでいたところでのスカウト。

父親は複雑な気持ちだったと思いますが賛成してくれたんだそう。

銘苅氏本人も、大工だけでなく、日常の細々とした物も作っていたので不安などは感じなかったようなんです。

そこから7年間住み込みで修業を始めます。

その時の給料は3000円だったそうです。

軍の仕事をしている人は倍は稼いでいたそうなので、比べると安かったんですね。

でも、

「住み込みだから生活できたんだよ」

と銘苅氏は語っています。

職人とは別の顔も

銘苅氏は三線職人とは別の実演家としての顔も持ち合わせているんです。

修業をしていた三味線店の長男が古典を習っていたので、

おかみさんから、

「あんたもいきなさい!」

といわれて始めたそうです。

その実演家としての実力も確かなものに。

1960年銘苅氏26歳のころ、

琉球古典音楽コンクール 三線部門新人賞を受賞。

1963年には、

優秀賞。

1964年には、

第1回琉球古典音楽コンクール 胡弓(クーチョー)部門新人賞。

現在は、

安冨祖流絃聲会の三線と胡弓の師範

となっています。

特に胡弓においては、沖縄県指定 無形文化財保持者に認定されています。

胡弓について銘苅氏は、

「味のある音を出さないといけない。調弦も余韻まで計算にいれる。音の細かいところまでこだわらないといけないね。そして、歌の感覚に合わせること」

画像:沖縄県三線制作事業協同組合

三線職人・実演家として2足のわらじをはきながら、31歳の時に独立。

1998年に故郷に戻り、銘苅三味線店を開店することに。

今年で24年になりますね。

 

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三線へのこだわり

三線

「手仕事には手形というものがある。木にも建築にもある。昔の石大工が削った石からでも職人がわかる。だから自分の作った三線はぜんぶわかる。作品を手がけた段階から完成形が見えてくる。その見えてくるものに近づけるにはミクロンの世界に入らないといけない。だから私は髪の毛よりもさらに細かく削るよ。そうして作り上げた私の三線は、同じ真壁マカビ型でも同じものはない」

画像:沖縄県三線制作事業協同組合

昔から三線は「生まれる」と言われるそうで、銘苅氏はそのとおりだと。

ミクロの単位で作り出される銘苅氏の三線は唯一無二の作品

何千本作ったとしても同じ三線はないということです。

職人としての誇りが感じられますね。

銘苅氏は修業時代から、仏具や位牌などの細かい彫刻も手掛けていたそうで、その経験が今の三線づくりに活かされているようです。

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曲線へのこだわり

曲線へのこだわり

銘苅氏は曲線への強いこだわりが。

曲げるのもただ曲げるのではなく、綺麗さ美しさを追求し、見ていて飽きない綺麗さが重要と語っています。

材料を見るだけでここを彫ったほうがいいと感じるそうで、その時点で頭の中では理想の曲線が出来上がっているそうです。

そしてそのとおりに余分なところを削っていくことで、銘苅氏の作品が完成していくんですね。

三線への哲学

「棹を触ったらすぐ分かるけど、三線を弾いたら目には見えない振動がある。棹は木の質に応じて、柔らかかったら太く作っても良いし、硬いのはあまり太く作ると振動しなくなる、重いから。例えば、鉄やアルミなどの金属で作ったら鳴らないわけよ。弦と皮(振動版)だけの音になる。音に味がない。だから材料はただ硬ければ良いというものではない。弦楽器というものはすべて振動させた方が良い。振動するから味のある音が出る」

引用元:沖縄県三線制作事業協同組合

目には見えない振動というにこだわるところ、実演者であり三線の名工であるがゆえの感覚なのでしょうか。

道を究めた職人の言葉には深みが感じられますね。

また、安い材料でも売りたくないくらいのものができる時もあるそう。

いい材料だからと言って、いいものが出来上がるとは限らないんですね。

弟子はいるの?

弟子は雇っていないそうです。

習いに来る人はいるそうで、教え方は「見る目を養う」ということ。

これは、対面でしか教えられないんだそうです。

身体能力がスゴイ

銘苅氏の80歳を超えての身体能力が凄いんです。

ボーリングが好きだそうで、過去には九州ブロック3位に入った実力。

いまでも、あぐらをかいた姿勢から両腕で体を持ち上げることもできるんです。

銘苅氏の身体能力
画像:沖縄県三線制作事業協同組合

普通の成人男性でもできない方のほうが多いですよ。

それに、鴨居で懸垂もできるんだとか。

80歳を超えた方とは思えませんね。

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銘苅春政作の三線のお値段とは?

銘苅春政作の三線はかなりの高額で販売されています。

ネットで買うのはちょっと怖いので、もし購入するならしっかりとしたお店でお買い求めくださいね。

みなみ三味線店さんを参考にさせていただきます。

購入希望の方はお問い合わせしてみてください。

⇒みなみ三味線店

銘苅春政作三線12000000
製作者 銘苅 春政
三線型 与那城型
材質 八重山黒木
塗り 無し
製造年月日 平成元年~平成10年頃
価格 1,200,000円(税込)
銘苅春政作-カミゲン黒木-六線棹
製作者 銘苅 春政
三線型 与那城型
材質 カミゲン黒木
塗り 本擦り漆
製造年月日 平成15年〜20年頃
価格 600,000円(税込)オプション別

Yahooオークションなどでは200,000円ぐらいからあるようですが、もし偽物だとしたらちょっと怖いですね。

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偽物との見分け方とは?

銘苅春政作の三線の棹(さお)の偽物がでまわっているのは本当のようです。

銘苅春政作シール

本物にはこのシールが貼られているそうです。

ですが偽物にも同じフォントをを使ったシールが貼られているとか。

そのシールは少し大きいだけのようで見分けはつかないようです。

過去に銘苅氏のところに、三線に名入れをしてほしいと訪れたかたがいあたそうです。

その方はネットで購入したそうですが、銘苅氏はその三線を見て、自分の作ったものではないと名入れをしなかったそうです。

本人にしか見分けがつかなということです。

なので、購入する際はネット、特にオークションなどでの購入は避けた方がいいと思います。

しっかりとした、三味線の専門店で購入されることをおすすめします。

銘苅春政作でも、古い三線にはシールは貼っていないものもあるそうです。

もしかすると、お持ちの三線が銘苅春政作ということもありえるかも。

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まとめ

今回は、銘苅春政さんの、

  • 銘苅春政とはどんな人物なのか?
  • 銘苅氏作の三線はいくらする?
  • 銘苅氏作の三線の見分け方とは?

について、お伝えしたいさせていただきました。

名工という極めた職人の方というのは、どこか神秘的なものを感じてしまします。

この技術はこの先継承されていくのか、気になるところですね。

まだまだ、高齢ではありますが頑張っていただきたいです。

ありがとうございました。