平昌冬季オリンピックに続き、北京冬季オリンピック2022のスピードスケート代表に選ばれた小田卓朗(おだ たくろう)選手。
2大会連続冬季五輪出場を決めた小田卓朗選手について、知りたいと思った人も多いのではないでしょうか。
今回の記事では、小田卓朗選手のwikiプロフィールや学歴(高校 大学)、経歴に加え、結婚、兄弟や両親(父・母)の家族構成などをご紹介していきたいと思います!
小田卓朗のプロフィール

まずは、小田卓朗選手のプロフィールからご紹介していきます。
名前 | 小田 卓朗 |
読み方 | おだ たくろう |
生年月日 | 1992年7月13日 |
年齢 | 29歳(2022年2月現在) |
出身地 | 北海道浦河郡浦河町 |
身長 | 178cm |
体重 | 75kg |
血液型 | A型 |
所属 | 開発計画研究所 |
出身校 | 浦河町立浦河第二中学校 山形県立山形中央高等学校 早稲田大学スポーツ科学部 |
小田卓朗の学歴
小田卓朗選手の学歴についてご紹介していきます。
小田卓朗選手の出身高校は?

小田卓朗選手の出身高校は、山形県立山形高等学校です。
山形県山形市鉄砲町二丁目にある県立高校で、普通科と体育科があります。
この高校のスケート部は全国的にも強豪校で、小田卓朗選手はここの出身でもあります。
山形県には練習用のスケートリンクがありません。
なので10月のシーズン開幕までは、エアロバイクを40分間黙々とこいだり毛糸を巻き滑り
やすくした靴下を履いて床を滑る練習をするなど、工夫して練習をおこなっています。
小田卓朗選手の強さはこのころ磨かれたのかもしれません。
小田卓朗選手の出身大学は?

小田卓朗選手の出身大学は、早稲田大学スポーツ科学部です。
早稲田大学スポーツ科学部はたくさんのアスリートを輩出している学部です。
小田卓朗選手はここで勉学に励みながら、スケートの技術向上に努めていきました。
しかし大学時代は思うような結果が出せずに悩んだ時期もあったそうです。
しかしナショナルチームに所属後は結果が出始め、平昌冬季五輪の出場が決定します。
小田卓朗の経歴
小田卓朗選手は1992年7月13日に北海道浦河郡浦河町で生まれました。
才能が開花した高校時代

小学校1年生の時にスケートを始めた小田卓朗選手。
高校に入るとその才能が開花し、どんどん結果を残していきます。
2010年に全日本スピードスケート距離別選手権大会の1500mで優勝します 。
さらに翌全日本ジュニアスピードスケート選手権大会で総合優勝を決め、全国高校スケート選手権大会の1000mで優勝しました。
そして全日本スピードスケート距離別選手権大会の1500mも優勝し連覇を果たすのです。
伸び悩んだ大学時代から平昌冬季五輪へ

大学に進学すると一転、なかなか結果が出ない日々を送ることになります。
しかしそんな状況でもめげることなくコツコツ練習と大会に出続け、インカレ出場時には1,000mで優勝を飾ります。
卒業後株式会社開発計画研究所に所属し、2017年の札幌アジア冬季競技大会1000mで優勝 し1500mで2位 になります。
全日本スピードスケート距離別選手権大会では1000mと1500mで優勝 。
その後平昌オリンピックスピードスケート日本代表選手選考競技会で1000m1500mともに優勝し、平昌オリンピック代表に選ばれるのです。
小田卓朗の結婚や彼女

小田卓朗選手の彼女や結婚しているかについて調べました。
小田卓朗選手選手が結婚しているという情報は今のところなく、彼女さんがいるという情報も見当たりません。
今はスケート競技に集中し、彼女を作ったりというタイミングではないのかもしれません。
しかしイケメンな小田卓朗選手なので、モテるのは間違いないでしょう。
今後の小田卓朗選手に注目ですね。
小田卓朗の家族構成

小田卓朗選手の父親や母親、兄弟の家族構成について調べてみました。
詳しい情報は出てきませんでしたが、お姉さんが2人いらっしゃるそうです。
スケート競技はお姉さんの影響で始められたみたいですよ。
お姉さんが今でもスケートやってらっしゃるという情報はありませんでしたが、小田卓朗選手の活躍を見る限り強い選手だったのかもしれません。
まとめ
今回は、北京冬季オリンピック2022のスピードスケート代表・小田卓朗選手のwikiプロフィールや学歴(高校 大学)、経歴に加え、結婚、兄弟や両親(父・母)の家族構成についてまとめてみました。
北京冬季五輪では、大活躍をする小田卓朗選手に期待したいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。






