2022年の日本ハムファイターズ新監督に就任した新庄剛志さん。
2021年11月4日に札幌市内で行われた新庄監督の就任会見には、35社119人の報道陣が集まり、テレビカメラが20台もあったそうです。
- 選手兼監督として…
- これからは顔を変えずにチームを変えていきたいと思います
- 監督と呼ばないで。ビッグボスと呼んでほしい
- 優勝なんか一切目指しません
などなど、新庄剛志さんらしい発言がたくさんありました。
新庄剛志監督の契約年数は1年で、推定年俸は1億円。
背番号は1番を付けるそうです。
プロ野球の監督で背番号1というのは珍しい気がするので、歴代の監督で背番号1や一桁の背番号を付けた人が他にいるのかを調べてみました。
また、新庄剛志さんの現役時代の年俸や背番号の推移も合わせてご紹介します。
新庄剛志監督の年俸や背番号の推移は?
北海道日本ハムファイターズの新監督に就任した新庄剛志さん。
1989年のドラフトで阪神タイガースに5位で指名され、西日本短期大学附属高等学校からプロ野球選手になりました。
そんな新庄剛志さんの年俸や背番号の推移がこちらです。
新庄剛志さんが付けていた背番号
- 背番号63
(1990年~1992年)
阪神タイガース - 背番号5
(1993年~2000年)
阪神タイガース
(2001年)
ニューヨーク・メッツ
(2002年)
サンフランシスコ・ジャイアンツ
(2003年)
ニューヨーク・メッツ - 背番号1
(2004年~2006年)
(2022年)
北海道日本ハムファイターズ
新庄剛志さんの年俸推移
【阪神タイガース時代】
- 1990年(360万円)
- 1991年(400万円)
- 1992年(460万円)
- 1993年(2200万円)
- 1994年(4300万円)
- 1995年(5500万円)
- 1996年(4900万円)
- 1997年(5700万円)
- 1998年(7300万円)
- 1999年(6200万円)
- 2000年(7800万円)
【メジャー時代】
- 2001年(2200万円)
ニューヨーク・メッツ - 2002年(1億3500万円)
サンフランシスコ・ジャイアンツ - 2003年(6000万円)
ニューヨーク・メッツ
【日本ハム時代】
- 2004年(8000万円)
- 2005年(8000万円)
- 2006年(2億2000万円)
- 2022年(1億円)※監督
プロ野球の歴代で背番号1や一桁を付けていた監督
日本のプロ野球では、1950年代頃までは各チームの選手とスタッフの数が30人以下だった事から、監督は最大の背番号30を付けるチームが多かったそうです。
自分は小学校の頃から野球をやっていましたが、確かに監督の背番号は30というイメージが強いです。
現在のプロ野球では、支配下選手が最大で70人までとなっているので、監督やコーチが69番以下の背番号を付ける事は少ないようです。
そんな中でも、新庄監督の背番号1のように、例外的な背番号を付けている監督が数名いました。
背番号1を付けていた歴代のプロ野球監督
新庄監督の他に背番号1を付けていたプロ野球の監督は、読売ジャイアンツ時代の王貞治さんだけです。
王さんのように現役時代の背番号をそのまま付けて監督として采配を振るった方は、
- 広瀬叔功さん(背番号12)
- 井口資仁さん(背番号6)
- 高橋由伸さん(背番号24)
などがいます。
一桁の背番号を付けていた歴代のプロ野球監督
一桁や小さい背番号を付けていた歴代のプロ野球監督がこちらです。
- 王貞治さん(背番号1)
- 長嶋茂雄さん(背番号3)
- 金本知憲さん(背番号6)
- 井口資仁さん(背番号6)
※現在も監督 - 山本浩二さん(背番号8)
- 服部受弘さん(背番号10)
- 村山実さん(背番号11)
- 広瀬叔功さん(背番号12)
- 野村克也さん(背番号19)
- 高津臣吾さん(背番号22)
※現在も監督 - 高橋由伸さん(背番号24)
- 掛布雅之さん(背番号31)
※2軍監督
など。
個人的には、現役時代の背番号を付けて監督をするのは凄く良い事だなと思っています。




