2022年から北海道日本ハムファイターズの監督として球界に復活する新庄剛志(しんじょう つよし)監督。
メディアでも多く取り上げられ、注目を浴びていますよね!
そこで今回は新庄剛志監督のwiki経歴や学歴(高校 大学)若い頃、身長や血液型のプロフィールなどを紹介していきます!
新庄剛志のプロフィール
まずは新庄剛志監督のプロフィールから!
画像:https://www.nikkan-gendai.com
【名前】
新庄剛志
(しんじょう つよし)
【生年月日】
1972年1月28日
【年齢】
49歳(2021年11月現在)
【出身地】
福岡県 福岡市
【身長】
181センチ
【血液型】
A型
【出身校】
西日本短期大学附属高等学校
【所属球団】
北海道日本ハムファイターズ
新庄剛志の若い頃
現在49歳で監督に就任した新庄剛志監督の若い頃はどうだったのでしょうか?
画像:https://column.sp.baseball.findfriends.jp
こちらの写真は1995年、23歳の新庄剛志監督です。
今は結構ガタイがいいイメージですが、この時は少しほっそりとしていますよね!
また、現在ではキラキラした雰囲気やノリノリなお兄さんという感じですが、この写真では幼さを感じます。
当時は阪神タイガースに入団しており、最前線として活躍していました。
新庄剛志の学歴(高校 大学)
次は新庄剛志監督の学歴について紹介していきます!
新庄剛志監督が卒業した高校は?
新庄剛志監督が卒業した高校は、西日本短期大学附属高等学校です。

西日本短期大学附属高等学校は、福岡県八女市にある西日本短期大学付属の私立高校です。
偏差値は38~51で、健康スポーツコース、特進総合進学コース、特進看護医療コース、キャリアライセンスコース、保育福祉進学コース、特進選抜コースと多くの普通科コースが用意されています。
部活動に力を入れており、新庄剛志監督が所属していた野球部の他にバレーボール部も強豪で、春高バレーにも出場経験があります。
新庄剛志監督は甲子園出場を決める、第71回全国高等学校野球選手権福岡大会で決勝まで進みサイクル安打を達成したのですが、惜しくも敗戦。
意外にも全国出場は経験していないのですが、プロでは大活躍してましたよね!
新庄剛志監督の卒業した大学は?
西日本短期大学附属高等学校を卒業後、新庄剛志監督は大学へは進学していませんでした。
画像:https://www.jiji.com
新庄剛志監督が高校3年生だった1989年、同年に行われたプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースに外野手として5位指名され入団を果たしています。
よって大学には進学していないのですが、指名が無かった場合は九州産業大学に推薦入学する事が決まっていたそうです。
使命を受けた事で今の新庄剛志監督がありますが、大学へ進学していた場合はどうなっていたのか気になりますよね!
新庄剛志の経歴
西日本短期大学附属高等学校を卒業した後、阪神タイガースに入団した新庄剛志監督。
その後の経歴について紹介していきます!
1991年 プロ初先発出場
入団して1年目は2軍で過ごしたとの事ですが、その翌年の1991年ではプロ初先発を果たします。
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同年の9月に一軍へ昇格し、東京ドームで行われた巨人戦で9回表の代打として初出場。
初打席初安打初打点を記録して、その後の広島東洋カープ戦では7番の遊撃手としてプロ初先発を果たしたのです。
2軍にいた際は腰痛などもあったそうですが、1軍に上がって活躍するのはかっこいいですよね!
2000年 ニューヨーク・メッツへ移籍
1軍へ上がった後、低迷期や応援ボイコットなど様々な問題があったのですが、それらを乗り越え、ゴールデングローブ賞なども獲得。
そして2000年にニューヨーク・メッツへ移籍表明をします。
画像:https://column.sp.baseball.findfriends.jp
メッツでは「SHINJO」という名前で入り、ファンにはSHINJOYという愛称で親しまれたそうです。
オープン戦での成績でジョン・J・マーフィー賞を受賞したり、本拠地開幕戦では初本塁打を打つなど活躍していました。
アメリカでも親しまれる新庄剛志監督は、日本を代表するスターですね!
2005年 年俸3億円に
メッツに所属した後は、読売ジャイアンツに移籍、またメッツに復帰などあらゆる球団で活躍していましたが、2004年には北海道日本ハムファイターズへ移籍。
画像:https://www.sankei.com
球場を満員にしたいという思いから、パフォーマンスにも力を入れていた新庄剛志監督。
この被り物パフォーマンスは有名ですよね!
日ハムではサヨナラ安打を何度も記録したり、リーグ月間最多を記録などで大活躍し、ゴールデングローブ賞、日本プロスポーツ大賞などを受賞しました。
こういった成績により、2005年に日ハムと再契約した際、年俸がキャリア最高の3億円に!
驚くべき額ですよね!
2006年 日本シリーズで日本1
2006年の4月、シリーズ開幕直後に新庄剛志監督は引退を表明します。
画像:https://www.nikkansports.com
突然の引退表明でマスコミメディアも驚き、ファンからは引退撤回の署名が起こるなど注目を集めました。
ですがこの年、チームはチームは4勝1敗で44年ぶり2度目の日本一に輝きます。
新庄剛志監督は当時、チーム優勝に貢献し最後の打席では涙を流していたそうです。
引退表明をし、チーム優勝に貢献するのはとてもかっこいいですよね!
そして2022年からはそのチームの監督に。
とても胸が熱くなる展開で、来年からの日ハムの活躍が楽しみです!
まとめ
今回は日ハムの監督に就任した新庄剛志監督の学歴、経歴、プロフィールなどについて紹介していきました。
引退した後はスター性を活かし、タレントとしても活動していましたよね!
2022年からは監督としてチームを引っ張っていきますが、新庄剛志監督がどんなチームにしていくのか楽しみです!
今後も新庄剛志監督の活躍に期待しています!






