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笑福亭鶴瓶と奥さん(嫁)はあのねのねにいた?写真や出会いまとめて調べてみた!

鶴瓶夫妻イメージ

2022年10月5日の「徹子の部屋」に笑福亭鶴瓶さんが出演。

笑福亭鶴瓶さんといえば芸能界きってのおしどり夫婦と言われています。

大学の同級生でおふたりとも70歳になられるとか。

鶴瓶さんの本名は駿河学(するがまなぶ)さんで奥さん(妻)は駿河玲子(するがれいこ)さんといいます。

鶴瓶さんと玲子さんは昔”あのねのね”のメンバーだったそうなんです。

ちょっと驚いきました。

それで今回は、鶴瓶さんと奥さんの出会いや”あのねのね”時代、結婚秘話などお伝えさせていただこうと思います。

笑福亭鶴瓶と奥さん(嫁)の出会い!

鶴瓶夫妻イメージ

笑福亭鶴瓶さんと奥さん(妻)の出会いは大学時代になります。

鶴瓶さんと奥さんとの出会いから結婚までの流れは、携帯電話もなかった時代と想像して読んでみてください。

鶴瓶さんの進学した大学は京都産業大学です。

いくつかの大学に合格していたそうですが、この大学を選んだ理由が入学金が他の大学より破格的に安かったことと、推薦入試を受ける友人に付き添った時に出会い一目惚れをした女性と再開できるのではないかという理由だったそうです。

その女性というのが、奥さん(妻)の 玲子さんなんです。

鶴瓶さんま京産大入学後、落語研究会に所属し、 童亭 無学(どうてい むがく)という名前で活動されていたそう。

この名前の由来は皆さんの想像通りです(笑)

そして入学後、すぐに偶然玲子さんと再開。

共通の友人がいたことから、落語研究会のマネージャーとして勧誘したそうなんです。

そして、玲子さんも「レモン亭円(まどか)」という名前で活動されていたそうです。

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笑福亭鶴瓶と奥さん(嫁)はあのねのねのメンバーだった?

”あのねのね”とは?

みなさん”あのねのね”はご存じでしょうか。

フォークソングブームの末期の1973年に「赤とんぼの唄」でメジャーデビューした清水国明と原田伸郎のコンビです。

「赤とんぼの唄」「魚屋のおっさんの歌」などで大人気となり、ライブでの コミカルなトークが話題を呼びラジオ番組のパーソナリティやテレビ番組の司会などでも活躍されました。

歌の活動では、あの小室哲哉・河島英五がバックバンドを担当していたこともあるんだそう。

また、 嘉門達夫やとんねるずの石橋貴明が清水国明の自宅に居候していたこともあるそうなんです。

”あのねのね””は1970~80年代に人気を博したコンビです。

”あのねのね”清水国明・原田伸郎との出会い

鶴瓶さんとあのねのねとがどう知り合ったのか不思議ですよね。

その辺りを調べてみました。

鶴瓶さんの親は、大学の入学金は出してくれたけれども、それ以外の費用は自分で稼ぐように言われていたそうなんです。

なので入学直後から旅館でアルバイトをしていたそうなのですが、そこで清水国明さんと知り合います。

原田伸郎さんとの出会いは、同じ京産大の落語研究会の仲間だったそうです。

そして鶴瓶さんが旅館のアルバイトを辞める時に、その後釜として原田伸郎さんを紹介したそうです。

そしてその旅館で、清水国明さんと原田伸郎さんが意気投合したそうなんです。

そんな感じで、”あのねのね”のメンバーが知り合うわけですか、”あのねのね”結成当初は鶴瓶さんと(のちの奥さん)玲子さんもメンバーに入っていたそうで、元々は4人のグループだったんです。

玲子さんがボーカルで、鶴瓶さんは踊っていたそうです。

このことは意外と知らない方も多いと思います。

というのも、”あのねのね”がメジャーデビューする頃には、鶴瓶さんと玲子さんはメンバーから抜けていたのであまり知られていないんですね。 

その当時の写真などがあれば紹介したいのですが、メンバー結成当時にお二人はおられなかったので写真は存在していないようです。

ご本人達はお持ちかもしれませんね。

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笑福亭鶴瓶と奥さん(嫁)の結婚秘話

鶴瓶さんの奥さん駿河玲子さんのお写真はコチラ!

→Instagramへジャンプします!

単身鶴瓶さんの実家に訪問

玲子さんは、将来の結婚相手である鶴瓶さんの生まれ育ったところを知りたくて、鶴瓶さんには黙って実家に訪れたそうなんです。

驚くことに鶴瓶さん抜きで一泊されたそうなんです。

かなりの行動力に驚きますね。

この頃なら許されたことなのかもしれませんが、今時代ならどんな感じになるんでしょう。

付き合っている彼女が、 知らないうちに実家に泊まって帰った何て聞くとちょっとびっくりしてしまいますよね。 

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「もうかえられへん!」

鶴瓶さんは大学を2年で中退しています。

そして六代目笑福亭松鶴さんに弟子入りし下積み生活を送っていた頃のことです。

ある日、ラジオの公開収録がホテルのプールサイドで行われ大勢の視聴者の前でしゃべっていると、プールの中になぜか玲子さんが手を振っていたそうなんです。

この時玲子さんとは遠距離恋愛中だったそうなのですが、有給休暇をとって大阪に遊びに来ていたそう。

このことは鶴瓶さんは知っていたそうなのですが、このラジオの収録時間には、愛媛に帰るために空港に向かっているはずの時間だったそうなんです。

驚いて鶴瓶さんはラジオの収録後玲子連に合うと、帰りの飛行機のチケットをちぎって紙吹雪のように捨てたそうです。

そしてその時こう語ったそうです。

「私もう帰られへん!」 

これがきっかけで二人の同棲が始まったそうです。

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鶴瓶さんと玲子さんの結婚

結婚イメージ

大学2年生の頃鶴瓶さんと玲子さんとの交際が始まります。

そしてその交際当初に、 

「10年後の1980年12月23日に結婚する」

と言うプロポーズをしていたようです。

ですが実際の結婚は、1974年10月12日に結婚されています。

それは玲子さんが妊娠したそうで、6年早い結婚となりました。

実ですが、奥さんの玲子さんの親は結婚に反対していたそうで、結婚式には玲子さんの親族は出席されなかったそうです。

反対されていたとはいえ、奥さんにとってはつらかったと思います。

”あのねのね”からのプレゼント!

仕事が多忙だった”あのねのね”の清水国明さんと原田伸郎さんも、仕事が終わってすぐに結婚式にかけつけてくれたそうなんです。

プレゼントと題しましたがご祝儀のことです。

その時”あのねのね”お二人はギャラの入った封筒を金額も確認する祝儀として鶴瓶さんに渡したそうです。

その祝儀はかなりの金額だったようで、結婚式と披露宴の費用を支払ってもおつりがきたそうなんです。

追記

この時祝儀で頂いた金額は約30万円だったそうです。

1970年代大卒の初任給が78,000円ぐらいだった頃のお話です。

かつての仲間がしてくれた大きなプレゼントに、鶴瓶さんは今でも感謝の気持ちを忘れていないということなんです。

何か心温まるものがありますね。

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夫婦円満・鶴瓶は愛妻家

今年で結婚48年目を迎える鶴瓶夫妻。

とっても仲がいいようで、 芸能界でもトップクラスのおしどり夫婦と知られています。

過去には東京大阪と離れている時期もあったそうなのですが、

「いつも電話でしゃべってますから。(妻から)『うがいしなきゃあかんよ!』とか」

一般に連絡を取っていたそうです。

離婚の危機

離婚の危機はなかったのかという質問に、

鶴瓶さん、

「別れるなんて思ったこともないわ」

玲子さんはボソッと、

「私は あるわ…」

鶴瓶さん 、

「いつや!(笑)」

と笑って、女の人ならあるんでしょうねと語ったそうです。

お風呂は一緒

鶴瓶さんは今でも二人でお風呂に入っていることを明かしています。

外出自粛期間中はずっと一緒にいたらしく、

「同時に太っていく。いつも一緒に風呂入って太っていく状態がわかる。『痩せよう、痩せよう』って言ってるんですよね。それはそれで幸せだと思うんで」

と語っています。

少しのちょっとした生活の時間の中で、幸せを感じるってとても良いですよね。

でも、家族でハワイ旅行に行った時に夫婦で入力しているところを孫に見られたそうで、さすがにそれは恥ずかしかったそうです。

妻:玲子さんへの思い

鶴瓶さんが玲子さんに対する気持ちは、今でも変わらないそうです。

「この人に何かあったら何人たりとも許さないって人でしょうね。ほんまにこの人が死ぬんやったら俺が先に死んだろうと思いますね。それは結婚してから全く変わっていないです」

と、玲子さんに対してのお思いを語っています。

まとめ

笑福亭鶴瓶と奥さん(嫁)はあのねのねにいた?写真や出会いまとめて調べてみた!

ということで、お伝えさせていただきました。

鶴瓶さん夫婦のお話をいろいろと調べていると、とても心温まる気持ちになります。

テレビでいつも見せてくれるあの面白くて優しそうな鶴瓶さんというのは、 普段の奥さんや家族との中でも同じようにされているんでしょうね。

いつまでも仲良くお幸せに!

ありがとうございました。