和田アキ子さんは芸能界では姉さん的存在で、知らない人はいないのではないでしょうか。
和田アキ子さんといえば、かなりの酒豪で有名でいろんなエピソードがテレビで紹介されています。
若い頃はやんちゃでキレイだったこともよく聞きますよね。
そんな和田アキ子さんですが、旦那さんはあまり話に出てこないので知らない方も多いはず。
今回は、
- 旦那さんはどんな方で馴れ初めは?
- 子供さんはいるの?
- 和田アキ子さんの若い頃のエピソード
そのあたり調べてみましたのでご覧ください。
和田アキ子の旦那さんとは?若い頃はキレイ?!
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— 和田アキ子 (@wadasoul2015) October 28, 2021
和田アキ子のプロフィール
名前 | 和田 アキ子(わだ あきこ) |
本名 | 飯塚 現子(いいずか あきこ) |
生年月日 | 1950年4月10日(72歳) |
身長 | 174㎝ |
デビュー | 1968年 |
所属事務所 | ホリプロ |
和田アキ子の旦那さんとは?
和田アキ子さんの旦那さんは、飯塚浩司さん。
元、カメラマンです。
おふたりは、1981年にご結婚され、今年で結婚41年になるんですね。
1981年、和田アキ子さんが出演していたドラマ「ひまわり戦争」で飯塚浩司はカメラマンをされていたそうです。
現在は、株式会社エー・アンド・ケイという会社の社長さんなんです。
- 芸能活動の企画制作・マネジメント
- フードクリエイト事業
- 音楽出版・制作事業
などを手掛けており、ホリプロと業務提携を結び和田アキ子さんのマネジメントもこの会社で行っているようです。
ちなみに和田アキ子さんはこの会社の役員となっています。
そして若い頃、お綺麗だった和田アキ子さんですが、飯塚浩司さんはどうやって和田アキ子さんの心を射止めたのでしょうか?
おふたりの馴れ初めとは?

若い頃の和田アキ子ってキレイですよね。
どうやって飯塚浩司さんは和田アキ子さんのハートを射止めたのか!
先ほど述べました、和田アキ子さん主演の「ひまわり大戦争」で旦那の飯塚浩司さんはカメラマンをしていました。
いつも和田アキ子さんのことを「どうやったらきれいに撮れるのか?」と熱心に模索しながら撮っていたそうです。
そんな飯塚の姿に、「こいつに私に惚れてるな!」と和田アキ子さんは勘違いしたそうなんです。
そこから、和田アキ子さんが声をかけるようになり、そのうちふたりで飲みに行くようになり1年後見事ゴールイン。
おふたりの馴れ初めは和田アキ子さんの勘違いから始まったんですね。
和田アキ子に子供はいる?
和田アキ子さんと飯塚浩司さんの間に子供はいないんです。
というのも、結婚2か月目に和田アキ子さんが子宮癌であることが発覚しました。
医師からは、「命を取るか、子供を産めない身体になるか」の2択を迫られてしまいます。
和田アキ子さんは、
「もう別れてもええねんで、こうちゃんの子供産んであげられへんし。もう死にたい。」
と大号泣したそうです。
そして、夫の飯塚浩司さんはこう語ったそうです。
「俺は子供のために結婚したわけじゃない。俺はアコが好きなんだ!」
優しい旦那さんですね。
和田アキ子さんのことを、心から愛しているのがわかります。
和田アキ子さんはご主人のことを、
「あんないい人はいないよ。すっごいいい人。優しい人。」
「和田アキ子がこうしていられるのも、ファンの方もあるけれども、一番は旦那。」
と語っておられました。
子供は生まれなかったけれど、おふたりの夫婦仲はとてもよく、愛に満ち溢れた幸せな人生を歩んでおられるようですね。
和田アキ子の若いころは女番長だったの?エピソード
和田アキ子さんの若い頃はかなりのやんちゃだったようです。
そうなったのには父親からの壮絶な虐待があったからなんだそうです。
父親からの虐待
和田アキ子さんの父親は100キロを超える巨漢であり、柔道の師範だったそうです。
大阪の鶴橋に道場を構え、和田アキ子さんは6歳のころから柔道の指導を受けていたそうです。
小学校6年生のころには身長も165cmはあったそうで、身長の高さを理由にいじめられたこともあったそう。
しかし最も恐ろしかったのは父から受ける暴力。
男尊女卑の考えの父親は和田アキ子さんには礼儀作法に関して人一倍厳しかったそうです。
少しでも気に入らないことを言うと、容赦なく殴られたそう。
こうして、父からの虐待に耐え兼ね中学1年で家出をします。
ミナミの繁華街や友人の家に泊まり歩き、やがて非行に走るようになったそうです。
気に入らない相手がいると、自分から因縁をつけるような喧嘩三昧の日々。
1年後の中学2年の時には、ミナミで知らないものはいないほどの女番長になっていたそうです。
喧嘩相手を道頓堀川に投げ飛ばすこともあったそうで、翌日は心配になり新聞をチェックしていたそうです。
実際に和田アキ子さんが相当強かったというのを、相手をしたことのある方に聞いたことがあります。
女性でも男相手に引かなかったそうですよ!
音楽の道へ
和田アキ子さんは小学校高学年のころにはレイチャールズに憧れ、ジャズやブルースなどに興味を持っていたそうで、家出後はよく大阪のジャズ喫茶に入り浸っていたそうです。
15歳のころジャズ喫茶などで歌うようになると、そのパワフルな歌声は評判になり、16歳のころ芸能事務所のひとに、
「社長に直接会ってほしい。」
と言われ、適当に話だけ聞こうと会ったそうです。
その社長というのが、ホリプロの堀威夫社長だったそうです。
このまま大阪にいても極道しかないのならと芸能入りを決心。
そして、芸能活動をスタートさせたそうです。
- 1968年10月当時18歳のときに「星空の孤独」で歌手デビュー。
- 1969年4月に2枚目のシングル「どしゃぶりの雨」が17万枚のヒットを記録。
- 1969年10月には3枚目のシングル「その時わたしに何が起こったの?」をリリース。
- 1970年に4枚目のシングル「笑って許して」20万枚のヒット
そして同年「第21回紅白歌合戦」に初出場し日本中に和田アキ子の名を広めるようになりました。
まとめ
今回は和田アキ子さんの、
- 旦那さんはどんな方で馴れ初めは?
- 子供さんはいるの?
- 和田アキ子さんの若い頃のエピソード
そのあたり調べてみましたがいかがでしたか?
優しい旦那さんとの夫婦仲の良さには羨ましい限りです。
子供が生めない身体になってしまったのは辛いことですが、それを払しょくするぐらいの旦那さんの優しい気持ちが和田アキ子さんを包んでいるんでしょうね。
ありがとうございました。